2025/05/12
今春みすみすまた過ぐ (今春看又過)
ああ、また春が過ぎていってしまう、
そんな詠嘆が聞こえるような、杜甫の漢詩の一節。
今年もゴールデンウィークが終わり、晩春の季節となった。
家人は、「晩春」という言葉があまり好きではないという。
「晩」という字に、やや暗いイメージがあるからのようだ。
私は、むしろ好きな言葉の部類に入るのだが。
晩春、晩夏、晩秋
どれも、過ぎていく季節を惜しむような心持ちがある。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
奥の細道に旅立つ芭蕉も、仲間との別れを、
過ぎていく春に掛けた。
ちなみに晩冬という言葉もあるが、
こちらは来る春を期待するニュアンスを感じるのだが、
私の誤解か。
もう春ともお別れだよ、そんなある日、
大町市郊外の中山高原を訪れた。
まだ菜の花が目に痛いほど咲いていて、
春霞を拭い去った残雪の山々がまぶしかった。

ああ、また春が過ぎていってしまう、
そんな詠嘆が聞こえるような、杜甫の漢詩の一節。
今年もゴールデンウィークが終わり、晩春の季節となった。
家人は、「晩春」という言葉があまり好きではないという。
「晩」という字に、やや暗いイメージがあるからのようだ。
私は、むしろ好きな言葉の部類に入るのだが。
晩春、晩夏、晩秋
どれも、過ぎていく季節を惜しむような心持ちがある。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
奥の細道に旅立つ芭蕉も、仲間との別れを、
過ぎていく春に掛けた。
ちなみに晩冬という言葉もあるが、
こちらは来る春を期待するニュアンスを感じるのだが、
私の誤解か。
もう春ともお別れだよ、そんなある日、
大町市郊外の中山高原を訪れた。
まだ菜の花が目に痛いほど咲いていて、
春霞を拭い去った残雪の山々がまぶしかった。

2025/05/06
今年の飯縄山は残雪が多い。
ゴールデンウィーク中に飯縄山に登った。
昨年、一昨年もゴールデンウィークに飯縄山に登ったのだが、
今年のように雪は多くはなかった。
南峰と北峰の間の尾根道、まだ冬道が残っている。
ただ、冬用の装備がなくても、特に危ないということはないのだった。
踏み抜くことの用心は必要かもしれないけれど。

むしろ、まだそこそこの高さを誇っている積雪のおかげで、
グリーンシーズンには見られない方角の展望がきいたのは、
幸いであった。

例年、6月上旬にはムラサキヤシオが楽しめるのだが、
今年はどうだろう。
開花期に行ってみたいのだが、その予測が難しい。
(写真は数年前のものです。)

ゴールデンウィーク中に飯縄山に登った。
昨年、一昨年もゴールデンウィークに飯縄山に登ったのだが、
今年のように雪は多くはなかった。
南峰と北峰の間の尾根道、まだ冬道が残っている。
ただ、冬用の装備がなくても、特に危ないということはないのだった。
踏み抜くことの用心は必要かもしれないけれど。

むしろ、まだそこそこの高さを誇っている積雪のおかげで、
グリーンシーズンには見られない方角の展望がきいたのは、
幸いであった。

例年、6月上旬にはムラサキヤシオが楽しめるのだが、
今年はどうだろう。
開花期に行ってみたいのだが、その予測が難しい。
(写真は数年前のものです。)

2025/04/23
須坂市豊丘に樹齢400年の桜があるという。
それを見に出かけた。

「延命地蔵堂の桜」と呼ばれるその桜のすぐ近くに、
瀟洒な建物がある。
かつての学校だったものを改造したらしいその建物は、
「園里資料館」と名乗っていた。
タダだというので入ってみることにした。

1階はかつての民家の中を、
2階はかつての学校の教室を、再現していた。
その教室においてあった机と椅子を見て、
あれー、懐かしいー、となってしまった。

自分が小学校に入学したとき、
机と椅子はこれであった。
小学1年生のときの記憶がよみがえった。
この机、学習する面が机のフタになっていて、
手前から持ち上げて、その中に教科書を入れる。
牛乳びんを倒してしまい、こぼれた牛乳が机の中に流れ落ち、
教科書をぬらしてしまったこともあった。
このニコイチの机で、最初に隣どうしとなった女の子は、
○○サワ サチ○さんといった。
おとなしくて静かな子だった。
今はどこで何をしているのか、もちろん知るよしもない。
小学時代の同級生で、今は東京に住んでいる友人がいる。
たまにこのブログを見てくれているのだが、
どうだろう、この机のことは覚えているだろうか。

現在はどうだか知らないのだが、
当時、各教室には1台ずつオルガンがあった。
もっとも、これほどぼろっちくはなかったけれど。
資料館の方の説明よれば、
なんでもこのオルガンは、
映画「シンペイ 歌こそすべて」の撮影に使われたものだという。
えっ? ええーーー!
映画のスタッフはよくまあこのオルガンを見つけたものだ。
まだ音が出るのだから、さらに驚いた。
須坂の片田舎にあるちっぽけな資料館で、
とってもいい出会いがあったのだった。
それを見に出かけた。

「延命地蔵堂の桜」と呼ばれるその桜のすぐ近くに、
瀟洒な建物がある。
かつての学校だったものを改造したらしいその建物は、
「園里資料館」と名乗っていた。
タダだというので入ってみることにした。

1階はかつての民家の中を、
2階はかつての学校の教室を、再現していた。
その教室においてあった机と椅子を見て、
あれー、懐かしいー、となってしまった。

自分が小学校に入学したとき、
机と椅子はこれであった。
小学1年生のときの記憶がよみがえった。
この机、学習する面が机のフタになっていて、
手前から持ち上げて、その中に教科書を入れる。
牛乳びんを倒してしまい、こぼれた牛乳が机の中に流れ落ち、
教科書をぬらしてしまったこともあった。
このニコイチの机で、最初に隣どうしとなった女の子は、
○○サワ サチ○さんといった。
おとなしくて静かな子だった。
今はどこで何をしているのか、もちろん知るよしもない。
小学時代の同級生で、今は東京に住んでいる友人がいる。
たまにこのブログを見てくれているのだが、
どうだろう、この机のことは覚えているだろうか。

現在はどうだか知らないのだが、
当時、各教室には1台ずつオルガンがあった。
もっとも、これほどぼろっちくはなかったけれど。
資料館の方の説明よれば、
なんでもこのオルガンは、
映画「シンペイ 歌こそすべて」の撮影に使われたものだという。
えっ? ええーーー!
映画のスタッフはよくまあこのオルガンを見つけたものだ。
まだ音が出るのだから、さらに驚いた。
須坂の片田舎にあるちっぽけな資料館で、
とってもいい出会いがあったのだった。
2025/04/17
昭和というよりは、明治か大正でしょというほど古色蒼然とした建物、
でもその方が桜との相性がいいのではないのかと思ってしまう。
佐久の家畜改良センターである。

あと何回桜の季節を迎えることができるのか、
そんなことを思うと、桜に対する愛惜の情も一入だ。
桜のトンネルのような中を、ゆっくり歩いたのだった。

まわりの桜よりは一段群を抜いて高いシダレザクラがあった。
古木であろうか。
お互いがんばりましょうという気持ちになった。

でもその方が桜との相性がいいのではないのかと思ってしまう。
佐久の家畜改良センターである。

あと何回桜の季節を迎えることができるのか、
そんなことを思うと、桜に対する愛惜の情も一入だ。
桜のトンネルのような中を、ゆっくり歩いたのだった。

まわりの桜よりは一段群を抜いて高いシダレザクラがあった。
古木であろうか。
お互いがんばりましょうという気持ちになった。

2025/04/09
「あんずまつり」のような催事はすでに終了してしまったのに、
花の盛りはまだ続いていた。
実際は、ひと目何万本かは知らないが、
散り始めている木はほとんど見られなかった。
十年ぶりくらいに千曲市のあんずの里を訪ねた。

展望台にある売店では、
「五番街のマリーへ」などのなんとも懐かしい曲が流れている。
見学に来た小学生を横目に、
お決まりのあんずソフトをいただきながら、風景を楽しんだ。

遠嶺はまだ雪をいただいていて、
いかにも信州の春。

車で20分のところに家人が営む畑があり、
そこにあんずの木が1本ある。
花のつき具合はどうかと見に行けば、
どういうわけか、まったく寂しい。
その代わりではないのだろうが、
畑は一面のホトケノザに覆われていて、
レンゲ畑かと見まがうほどの彩りとなってしまっていた。

花の盛りはまだ続いていた。
実際は、ひと目何万本かは知らないが、
散り始めている木はほとんど見られなかった。
十年ぶりくらいに千曲市のあんずの里を訪ねた。

展望台にある売店では、
「五番街のマリーへ」などのなんとも懐かしい曲が流れている。
見学に来た小学生を横目に、
お決まりのあんずソフトをいただきながら、風景を楽しんだ。

遠嶺はまだ雪をいただいていて、
いかにも信州の春。

車で20分のところに家人が営む畑があり、
そこにあんずの木が1本ある。
花のつき具合はどうかと見に行けば、
どういうわけか、まったく寂しい。
その代わりではないのだろうが、
畑は一面のホトケノザに覆われていて、
レンゲ畑かと見まがうほどの彩りとなってしまっていた。

2025/04/06

アメリカの作家、ハーマン・ウォークによる小説。
太平洋戦争中、オンボロ掃海駆逐艦「ケイン号」の乗組員が、
とんでもない艦長に翻弄される話を軸に、
一人の若者が人間的に成長していく物語。
この艦長、偏執狂の気があり、パワハラは働く、自分のミスは部下のせいにする、わりと臆病、といった人間で、
リーダーとしての資質が疑われる。そんな中、嵐に遭遇するが・・・。
この小説を読んでいる最中に、H県の知事の言動を、第三者委員会なるものがパワハラと認定したとのニュースがあった。
そういえば、某N県でも昨年、会社でいえば重役クラスの公務員がパワハラで処分された。
パワーハラスメント(パワハラ)は、近年社会の理解が進み、
法も整備されてきた。
ただ、はっきり言って、パワハラを直すのは難しい。
幾多のパワハラにさいなまれた私の率直な感想。
アンガーマネージメントの講習会なども行われているが、
そもそも人の性格はそんなに簡単には修正できない。
第一、自身の言動が他人を傷つけているなんてことに気づいていない節がある。
こんなことがあった。
モーレツパワハラのAさんが、別のパワハラ人間Bの評判を聞きつけてきて、
「おい、Bは(パワハラが)ものすごいっていうじゃねえか。」と言うのだ。
Aさんだってそうですよ。ってどれほど言いたかったことか。
ちくしょー、今度はオレが怒鳴り散らす番だと思っていたら、
もうそれができない時代となっている。
小説を読んでいる最中、さらに驚くべきニュースが入ってきた。
なんと、同じN県の重役クラス公務員が、長年盗撮をしていたというのだ。
仕事ができる人間は、十数年にわたって卑劣な行為を隠しおおせるのかと、
苦笑いしてしまった。
運の尽きだったのは、退職金が目の前にぶら下がった時期に発覚したことだ。
彼の家のパソコンには、N県の女性公務員の股間写真がコレクションされていることだろう。
彼を優秀な職員として評価した人も、
彼を重要な役職に起用した人も、
そしてなにより、彼の部下となり、彼の命令を受けた人も、
だまされたと思ったのではないだろうか。お気の毒様です。
さほどに、人の本性を見抜くということは難しい。
そもそも、上司だからといって人格者を期待してはいけない。
日本のような年功序列の社会では、そこそこ仕事ができれば、みな上司になっていく。
組織を束ねる能力というものは、部下であったときの仕事の能力とは別の次元であり、
実際にそのポストにつけてみなければわからない。
人格者だからといって上のポストにつけてもらえる訳ではないし、
とんでもない上司というものもしばしば出現する。
ケイン号の艦長は、軍法会議で証人として登場し、
証言をする中で自らの正体をさらけだしてしまう。
とんでもない上司を持ってしまうことは大変なことであるが、
それ以上に、自分がそれなりの上司になっていくことの方が、
鍛錬がいることである気がする。
2025/03/30
日本列島が黄砂に襲われた早春の一日、近くの里山を散策した。

ちょっと思い立って、かつてのバードラインを歩いてみた。
地滑りによって使われなくなってしまったいにしえの道路、
40年の歳月を経ていたが、往時を偲ぶことができた。

まだ、葉が茂る前の樹間からは、黄砂に霞む飯縄山が。
(写真は眺めのいいところからのものです。)

冬枯れの姿を残す林のところどころに、点々と黄色い花が見える。
早春のさみしい里山に、かすかな彩りを添えていた。

思わぬところで、白い可憐な花に遭遇した。
このナガブロでも紹介されていた花のようだ。

花に見入っていたときに、一人の中年の女性がやってきた。
なんでも昨年この花の存在を知り、今年も見に来たというのだ。
時期的にどうかといぶかっていたようだったが、
タイミングよく出会えたことを喜んでいた。
ああー、そうなんだあと思ったら、
何枚も何枚も写真を撮ってしまったのであった。

ちょっと思い立って、かつてのバードラインを歩いてみた。
地滑りによって使われなくなってしまったいにしえの道路、
40年の歳月を経ていたが、往時を偲ぶことができた。

まだ、葉が茂る前の樹間からは、黄砂に霞む飯縄山が。
(写真は眺めのいいところからのものです。)

冬枯れの姿を残す林のところどころに、点々と黄色い花が見える。
早春のさみしい里山に、かすかな彩りを添えていた。

思わぬところで、白い可憐な花に遭遇した。
このナガブロでも紹介されていた花のようだ。

花に見入っていたときに、一人の中年の女性がやってきた。
なんでも昨年この花の存在を知り、今年も見に来たというのだ。
時期的にどうかといぶかっていたようだったが、
タイミングよく出会えたことを喜んでいた。
ああー、そうなんだあと思ったら、
何枚も何枚も写真を撮ってしまったのであった。
2025/03/26
随分と前のことになる。
画家ロートレックの半生を描いた「赤い風車」という映画を見た。
ロートレックが足繁く通ったキャバレー、ムーランルージュの建物が赤い風車。
ロートレックは足をケガして、足の成長が止まってしまい、
極端に足が短い姿となってしまった。
そんな自身の容姿に引け目を感じて、幸せをつかみ損ねてしまった、
そして、華やいだ踊りを描写したのとは裏腹に、
彼自身は寂しさや孤独を募らせてしまう、
そんな感じの映画ではなかったろうか。
何分、大昔のことで内容はほとんど忘れてしまったのだが、
ほのかに頭の片隅に残っている映画の印象をひと言で言えば、
“侘しい”であるのかもしれない。

松本市美術館で開催されている「ロートレック展」を見に行った。
本格的な油絵のようなものは展示されていなかったが、
若き日のロートレックの素描や、
彼の十八番であるポスター作品を多数見ることができた。
先入観というものはやっかいだ。
どうしても、作品の一つ一つにもの悲しさを見つけようとしてしまう。
すなおに、彼が憧れたのであろう楽しい雰囲気を味わえばいいのかも。
ただ、これまた思い込みかもしれないのだが、
描かれている人物に“ほのぼの”とした表情があまりなかったような。
なんにせよ、19世紀末のパリの文化、その一端に触れられた展示会であった。

画家ロートレックの半生を描いた「赤い風車」という映画を見た。
ロートレックが足繁く通ったキャバレー、ムーランルージュの建物が赤い風車。
ロートレックは足をケガして、足の成長が止まってしまい、
極端に足が短い姿となってしまった。
そんな自身の容姿に引け目を感じて、幸せをつかみ損ねてしまった、
そして、華やいだ踊りを描写したのとは裏腹に、
彼自身は寂しさや孤独を募らせてしまう、
そんな感じの映画ではなかったろうか。
何分、大昔のことで内容はほとんど忘れてしまったのだが、
ほのかに頭の片隅に残っている映画の印象をひと言で言えば、
“侘しい”であるのかもしれない。
松本市美術館で開催されている「ロートレック展」を見に行った。
本格的な油絵のようなものは展示されていなかったが、
若き日のロートレックの素描や、
彼の十八番であるポスター作品を多数見ることができた。
先入観というものはやっかいだ。
どうしても、作品の一つ一つにもの悲しさを見つけようとしてしまう。
すなおに、彼が憧れたのであろう楽しい雰囲気を味わえばいいのかも。
ただ、これまた思い込みかもしれないのだが、
描かれている人物に“ほのぼの”とした表情があまりなかったような。
なんにせよ、19世紀末のパリの文化、その一端に触れられた展示会であった。
2025/03/14
ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
財津和夫さんの名曲「サボテンの花」
降りしきる雪と、失恋のうずきの前半、
近づく春と、元気を出そうとする後半、
冬から春にかけて、あたまに流れる曲の一つとなっている。
この長い冬が終わるまでに
何かをみつけて生きよう
何かを信じて生きていこう
この冬が終わるまで
別れと新たな旅立ちを迎えるこの季節
おまえは何かをみつけたのか
と、聞かれても
やっぱダメでした
となったまま歳をとってしまいました。
この冬にみつけた景色で
どうかご容赦を。
年末に見た北アルプス
荘厳でした。

このナガブロでも何人かの方が紹介していました。
1月27日の朝焼けです。
ほんとうに焼けるよう。

黒姫山、重厚感がありました。

財津和夫さんの名曲「サボテンの花」
降りしきる雪と、失恋のうずきの前半、
近づく春と、元気を出そうとする後半、
冬から春にかけて、あたまに流れる曲の一つとなっている。
この長い冬が終わるまでに
何かをみつけて生きよう
何かを信じて生きていこう
この冬が終わるまで
別れと新たな旅立ちを迎えるこの季節
おまえは何かをみつけたのか
と、聞かれても
やっぱダメでした
となったまま歳をとってしまいました。
この冬にみつけた景色で
どうかご容赦を。
年末に見た北アルプス
荘厳でした。

このナガブロでも何人かの方が紹介していました。
1月27日の朝焼けです。
ほんとうに焼けるよう。

黒姫山、重厚感がありました。

2025/02/24

朝、日が昇る前、あるいは夕方の日没後、まだ空が明るい「薄明」、
この薄明には用途によって3種類あることを、
国立天文台のホームページに教えてもらった。
太陽の中心が水平線の下、何度までに位置しているかによって区分されている。
常用薄明 水平線下 6度まで
航海薄明 水平線下 12度まで
天文薄明 水平線下 18度まで
先日のこと
空気の澄んだ冬の夜明け
満ちた月が沈み行くのを見た
紫色に染まった空
高妻山の薄明に
