2月5日の大雪から1週間ほどたってから、
佐久まで出かけた。
雪をまとった浅間山を見たかったのだ。
佐久のしょは「なんでまた?」と思われるかもしれないが、
見たかったのだから仕方がない。



実は、古い写真を整理していたら、
2000年の4月に撮った写真が見つかった。
桜の季節であった。



今年の桜の季節に、
このときと同じ場所で撮りたいと思い、
下見も兼ねていた。

ただ問題がある。
この暖冬で桜の開花時期が見通せない。
昨年の桜、半月は早く開花した。
今年はさらに早まるかも。
ちなみに24年前の撮影日は4月29日であった。

まったく存じあげませんでした。
ごめんなさい。
内田樹さんです。
最近ようやく「樹」を「たつる」と読めるようになりました。

信濃毎日新聞の夕刊に連載されていた「今日の視角」という著名人による論説が、
夕刊の廃止とともに朝刊に移ってきた。
曜日ごとに担当者が決まっていて、
水曜日の担当が内田さん。
もちろん夕刊などはとっていなかったので、
朝刊での連載が始まってようやく内田さんを知ることになったのです。
内田さんの文章は、小気味よくて、痛快で、胸にストンと落ちる。
水曜日の信毎が楽しみになりました。

内田さんの肩書きは「思想家」、しかも武道家でもあるらしい。
ひょっとしてかなり右よりな人か?
でも、どちらかといえば体制にくってかかる信毎が、
平然と論説を載せている。
答えが1月24日の信毎にあった。
「右翼であり左翼である」という。
(アハハッ、面白い)

なにか内田さんの本を読んでみたいと思い、
これまで武道とはほとんど接点がなかったものだから、
とりあえず「武道的思考」という本を図書館で借りた。



内田さんの文章は魔術的!
強烈な主張だけれど、妙に納得させられてしまう。
武道の目的は、端的に「生き延びる」ことだそうだ。
武道に親しんでこなかった自分がちょっと悔やまれた。

道場を経営する立場として、1月31日の信毎に責務を謳っていた。
「凡庸な身体能力しか持たない子どもたちに自分の身体に対して敬意と好奇心を持つ仕方を教え」たい。
やはり納得させられてしまう。

あす9日から善光寺で灯明祭がはじまる。



今夜はリハーサルを行っていた。



2月の恒例行事。

夕暮れとともに南天にオリオン座が輝くこの時期、
春の到来まで今しばらくの辛抱だ。

デジタルカメラを使い出したのは3年前で、
それ以前はもっぱらフィルム写真を撮っていた。
撮りためたフィルムの半分は整理できておらず、
最近ようやく20年ほど前のフィルムを点検した。

たぶん軽井沢へでも行った帰りであったのだろう、
浅間サンラインで、それは見事な夕焼けに遭遇した。



レンズはおそらく85mmの単体レンズ。
風景を撮るときは、絞り優先でf8を常用としている。
光量が不確かであれば、シャッタースピードはカメラまかせにしているが、
念のため段階露出で複数枚撮影することがある。
上の写真はマイナス3分の2の補正をおこなったものであった。

黒澤明監督の映画「生きる」では、
志村喬演じる主人公が夕焼けに感動するシーンがある。
白黒映画なのだが、夕景の美しさが実感できる。

楳図かずおさんのマンガ「わたしは真吾」での、
子ども2人が夕雲を見上げる場面、
やはり色はついていなのだけれど、その迫力に圧倒される。

巨匠の手にかかると、色がなくても、
夕焼けが美しく表現されることがすごい。

わたしが夕焼けを写真におさめるときは、
どうしても色がなくては話にならないのは、いたしかたないか。

衝撃的な文章であった。

「夫がほかの女にうつつをぬかして、少しも自分を顧みてくれない時には、妻は日本人が一般に容認している手淫の習慣に訴えることがある。そして下は農村から上は高貴な人びとの家庭に至るまで、婦人はこの目的のために作られた伝統的な道具を秘蔵している。(略)
このように日本の婦人は、性的な事柄に関しても、ある種の自由が許されている。」



アメリカ人女性のルース・ベネディクトが書いた「菊と刀」にある一文である。
「菊と刀」はれっきとした学術書(かな?)、
外国人が書いた日本人論としても超有名だ。
ベネディクト女史は、数々の文献や、日本人移民からの聞き取りをもとに、
日本人の研究を行った。
驚いたことに、日本へは来たことがなかったのであるが、
かなり日本人の本質を突いているなあとは感じた。

「菊と刀」の主題については、専門の書物に委ねるとして、
女史の聞き取った内容は戦前の日本の習俗を伝えていて興味深かった。
ただし多少の曲解もあるようだ。
冒頭の記述、どこまで正鵠を射ているか判断できないが、
戦前にアメリカに渡った日本人女性に取材し、
たぶん女史の倫理観とは相容れないものがあったのではないかと推察している。
キリスト教がこの手の行為を禁止しているかどうかは知らないが、
少なくとも仏教では禁じていないだろう。
なぜなら、仏教は、人間が持つ数々の欲望を是認した上で、
これらを暖かく包み込む、そんな宗教に思えるからだ。

でも、これらの行為は「秘」さなければならない。
どうしてかというと、それを男性陣が知ってしまうと、野獣と化してしまうからだ。

二十年以上も前の、飲み会の席でのことである。
バツイチの女性が、
「私もよくやるわよ!」という発言をしたことがあった。
あまりのことに、酔いが吹っ飛んでしまったことを記憶している。

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