2021/02/23
寅さんが、のんびりと湖の風景を眺めている。寅さんが何を思っているかは、映画を見る人たちのそれぞれの想像になるだろう。男はつらいよ第23話翔んでる寅次郎の一場面だ。ここに、桃井かおりさんが扮するマドンナが登場し、寅さんに声をかける。寅さんは、気安く男に声をかけるマドンナをたしなめるが、ここから物語が展開していく。マドンナは、布施明さんが演じる婚約者から逃げ出してきたのだったのだ。布施さんは、非常に真面目で朴訥な婚約者を上手に演じていて、ストーリーをおもしろおかしくさせている。

長野市の城山公園に、だれもが布施明だと考える銅像、失礼!野外彫刻がある。その名もまさしく「憩う」だ。かつては南向きであったが、公園の整備に合わせ西向きとなった。公園で遊ぶ子供たちを優しく見守っている。先日長野市のホームページで確認したところ、モデルはやはり布施さんなんだそうだ。
長野市内にはいろんなところに野外彫刻がある。ややもすると、何も気づかずに通り過ぎてしまうこともあるが、じっくり見出すとおもしろい。中には、これはいったい何なんだというのもあるが、それについていろいろ想いを巡らすのもまた楽しい。

長野市街地北部の山の上にある長野市霊園に「風景の領域」という題名の彫刻がある。鏡のように周りを写す金属製の円筒を、縦に割ったような形をしている。どういうわけか気に入ってしまい、何年かにいっぺん見に行きたくなる。「風景の領域」という題名もことのほか気に入っている。山の上にあって、誠にふさわしい。これからも、長野市上空の空の景色を写し取っていくことだろう。
長野市の城山公園に、だれもが布施明だと考える銅像、失礼!野外彫刻がある。その名もまさしく「憩う」だ。かつては南向きであったが、公園の整備に合わせ西向きとなった。公園で遊ぶ子供たちを優しく見守っている。先日長野市のホームページで確認したところ、モデルはやはり布施さんなんだそうだ。
長野市内にはいろんなところに野外彫刻がある。ややもすると、何も気づかずに通り過ぎてしまうこともあるが、じっくり見出すとおもしろい。中には、これはいったい何なんだというのもあるが、それについていろいろ想いを巡らすのもまた楽しい。
長野市街地北部の山の上にある長野市霊園に「風景の領域」という題名の彫刻がある。鏡のように周りを写す金属製の円筒を、縦に割ったような形をしている。どういうわけか気に入ってしまい、何年かにいっぺん見に行きたくなる。「風景の領域」という題名もことのほか気に入っている。山の上にあって、誠にふさわしい。これからも、長野市上空の空の景色を写し取っていくことだろう。
2021/02/14
新しい美術館が、開館を迎えようとしようとしている。

この4月にオープンする「長野県立美術館」だ。建設中の囲いもとれ、真新しい外観が姿を現している。

美術館を囲む地形の高低差を利用して、1階だけでなく2階や3階からもアクセスできるような造りになっているようだ。館内やテラス?からの善光寺の眺めも抜群だ。楽しみである。

長野県立美術館は、建て替え前は信濃美術館と呼ばれていた。
「信濃」という名称は、長野県の古い国名だが、八世紀の初めに「科野」という表記から変えられたものだ。「信州」はもちろん「信濃」が由来だろう。長野県のかつての観光キャッチフレーズは「さわやか信州」であったが、もし、字が変更されなかったら「さわやか科州」だったのかもしれない。ウーン、これでは高原のイメージが湧いてこない。国立大学も科州大学だったか。フフッ、なんかナッツみたいだ。
科野という字の代わりに、好ましい字として信濃が選ばれた。おとなりの「美濃」も「三野」から変化した。「濃」は、なんとか「ノ」と読んでもいいだろう。ただ、不思議なのは、東となりの「上野」の国だ。「上ツ毛」の国を変更したのだろうが、「野」が使われている。えっ?「野」は忌み嫌う字ではなかったということ?だったら無理に「濃」を使うこともなかったんじゃん、と思ってしまう。
さらに問題は「信」だ。「シナ」とは普通は読めないだろう。
「信」はニンベンに「言」という字だ。漢字の大家、白川静さんによれば「言」の字の「口」は、人間のクチではなく、神様に捧げる言霊を納めた箱のことだそうだ。上の横4本の線は「辛」という字であり、実は針のようなものを表しているという。つまり、神様への約束を違えると痛い目にあうということらしい。そこにニンベンがついた「信」という字は、絶対に破ってはいけない「まこと」を表しているんだそうだ。
「美濃」は字面だけを見れば、美が濃い国だ。うらやましい名前だ。「信濃」も字面だけを見れば、「まこと」が濃い国だ。字を選択した人の、強い思いがあるのかもしれない。
まことの美を展示する新しい美術館から「信濃」の文字がなくなってしまったのは、ちょっと寂しい。
この4月にオープンする「長野県立美術館」だ。建設中の囲いもとれ、真新しい外観が姿を現している。
美術館を囲む地形の高低差を利用して、1階だけでなく2階や3階からもアクセスできるような造りになっているようだ。館内やテラス?からの善光寺の眺めも抜群だ。楽しみである。
長野県立美術館は、建て替え前は信濃美術館と呼ばれていた。
「信濃」という名称は、長野県の古い国名だが、八世紀の初めに「科野」という表記から変えられたものだ。「信州」はもちろん「信濃」が由来だろう。長野県のかつての観光キャッチフレーズは「さわやか信州」であったが、もし、字が変更されなかったら「さわやか科州」だったのかもしれない。ウーン、これでは高原のイメージが湧いてこない。国立大学も科州大学だったか。フフッ、なんかナッツみたいだ。
科野という字の代わりに、好ましい字として信濃が選ばれた。おとなりの「美濃」も「三野」から変化した。「濃」は、なんとか「ノ」と読んでもいいだろう。ただ、不思議なのは、東となりの「上野」の国だ。「上ツ毛」の国を変更したのだろうが、「野」が使われている。えっ?「野」は忌み嫌う字ではなかったということ?だったら無理に「濃」を使うこともなかったんじゃん、と思ってしまう。
さらに問題は「信」だ。「シナ」とは普通は読めないだろう。
「信」はニンベンに「言」という字だ。漢字の大家、白川静さんによれば「言」の字の「口」は、人間のクチではなく、神様に捧げる言霊を納めた箱のことだそうだ。上の横4本の線は「辛」という字であり、実は針のようなものを表しているという。つまり、神様への約束を違えると痛い目にあうということらしい。そこにニンベンがついた「信」という字は、絶対に破ってはいけない「まこと」を表しているんだそうだ。
「美濃」は字面だけを見れば、美が濃い国だ。うらやましい名前だ。「信濃」も字面だけを見れば、「まこと」が濃い国だ。字を選択した人の、強い思いがあるのかもしれない。
まことの美を展示する新しい美術館から「信濃」の文字がなくなってしまったのは、ちょっと寂しい。
2021/02/12
善光寺の灯明まつりが始まった。医療従事者への感謝の気持ちをあらわすため、ブルー・ライトがベースだという。新型コロナウィルスの収束を祈りたい。
2021/02/12
某公共放送で空母「信濃」の番組をやっていた。戦時中、大和級の戦艦として建造されはじめたが、途中から航空母艦(空母)に改造された。乗組員が未熟だったこともあるようだが、完璧な竣工検査もしないまま出航したため、処女航海で魚雷4本を喰らって沈没した。
昔、プラモデルのウォーターラインシリーズなるもので多くの軍艦を作ったが、「信濃」も作った覚えがある。戦艦が母体であったせいか、「赤城」や「加賀」といった他の空母に比べかなりおデブさんだったような気がする。少年時代は誰もが軍艦に憧れを持つものかもしれないと、番組を見ながら思ってしまった。あの時つくった連合艦隊は、母親という敵軍によってすべて撃沈させられてしまった。
それにしても、「大和」「武蔵」に続く日本海軍が誇る超弩級戦艦の3番艦に「信濃」を使おうと考えたのは誰なのだろう。「大和」は日本国全体を象徴するし、「武蔵」は日本一の剣豪を彷彿させる。そもそも海のない「信濃」はどうして・・・。
途中から空母に改造させられたり、まったく軍事活動をとることなく短命であっけいない生涯で「幻の空母」と名付けられたりしたが、子供ながらに信濃の国の住人として何となく誇らしく感じたことを思い出した。命名者に感謝したい。

「信濃」という国名は「科野」という表記から、八世紀初頭の好字制という国の方針により改変されたものだ。「シナノ」という名前の由来は諸説あるようだが、定説はないようだ。それとは別にどうして「信」という字と「濃」という字が選ばれたのが疑問だ。だいたい「信」をどうして「シナ」と読まそうとしたのだろう。そんなこといったら「大和」も「武蔵」もヤマト、ムサシとは素直には読めないぞ、っていわれればそのとおりなのだが。
昔、プラモデルのウォーターラインシリーズなるもので多くの軍艦を作ったが、「信濃」も作った覚えがある。戦艦が母体であったせいか、「赤城」や「加賀」といった他の空母に比べかなりおデブさんだったような気がする。少年時代は誰もが軍艦に憧れを持つものかもしれないと、番組を見ながら思ってしまった。あの時つくった連合艦隊は、母親という敵軍によってすべて撃沈させられてしまった。
それにしても、「大和」「武蔵」に続く日本海軍が誇る超弩級戦艦の3番艦に「信濃」を使おうと考えたのは誰なのだろう。「大和」は日本国全体を象徴するし、「武蔵」は日本一の剣豪を彷彿させる。そもそも海のない「信濃」はどうして・・・。
途中から空母に改造させられたり、まったく軍事活動をとることなく短命であっけいない生涯で「幻の空母」と名付けられたりしたが、子供ながらに信濃の国の住人として何となく誇らしく感じたことを思い出した。命名者に感謝したい。
「信濃」という国名は「科野」という表記から、八世紀初頭の好字制という国の方針により改変されたものだ。「シナノ」という名前の由来は諸説あるようだが、定説はないようだ。それとは別にどうして「信」という字と「濃」という字が選ばれたのが疑問だ。だいたい「信」をどうして「シナ」と読まそうとしたのだろう。そんなこといったら「大和」も「武蔵」もヤマト、ムサシとは素直には読めないぞ、っていわれればそのとおりなのだが。