日本列島が黄砂に襲われた早春の一日、近くの里山を散策した。



ちょっと思い立って、かつてのバードラインを歩いてみた。
地滑りによって使われなくなってしまったいにしえの道路、
40年の歳月を経ていたが、往時を偲ぶことができた。



まだ、葉が茂る前の樹間からは、黄砂に霞む飯縄山が。
(写真は眺めのいいところからのものです。)



冬枯れの姿を残す林のところどころに、点々と黄色い花が見える。
早春のさみしい里山に、かすかな彩りを添えていた。



思わぬところで、白い可憐な花に遭遇した。
このナガブロでも紹介されていた花のようだ。



花に見入っていたときに、一人の中年の女性がやってきた。
なんでも昨年この花の存在を知り、今年も見に来たというのだ。
時期的にどうかといぶかっていたようだったが、
タイミングよく出会えたことを喜んでいた。
ああー、そうなんだあと思ったら、
何枚も何枚も写真を撮ってしまったのであった。

随分と前のことになる。
画家ロートレックの半生を描いた「赤い風車」という映画を見た。
ロートレックが足繁く通ったキャバレー、ムーランルージュの建物が赤い風車。
ロートレックは足をケガして、足の成長が止まってしまい、
極端に足が短い姿となってしまった。
そんな自身の容姿に引け目を感じて、幸せをつかみ損ねてしまった、
そして、華やいだ踊りを描写したのとは裏腹に、
彼自身は寂しさや孤独を募らせてしまう、
そんな感じの映画ではなかったろうか。
何分、大昔のことで内容はほとんど忘れてしまったのだが、
ほのかに頭の片隅に残っている映画の印象をひと言で言えば、
“侘しい”であるのかもしれない。



松本市美術館で開催されている「ロートレック展」を見に行った。
本格的な油絵のようなものは展示されていなかったが、
若き日のロートレックの素描や、
彼の十八番であるポスター作品を多数見ることができた。
先入観というものはやっかいだ。
どうしても、作品の一つ一つにもの悲しさを見つけようとしてしまう。
すなおに、彼が憧れたのであろう楽しい雰囲気を味わえばいいのかも。
ただ、これまた思い込みかもしれないのだが、
描かれている人物に“ほのぼの”とした表情があまりなかったような。
なんにせよ、19世紀末のパリの文化、その一端に触れられた展示会であった。



   ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて

財津和夫さんの名曲「サボテンの花」
降りしきる雪と、失恋のうずきの前半、
近づく春と、元気を出そうとする後半、
冬から春にかけて、あたまに流れる曲の一つとなっている。

   この長い冬が終わるまでに
   何かをみつけて生きよう
   何かを信じて生きていこう
   この冬が終わるまで

別れと新たな旅立ちを迎えるこの季節
おまえは何かをみつけたのか
と、聞かれても
やっぱダメでした
となったまま歳をとってしまいました。

この冬にみつけた景色で
どうかご容赦を。

年末に見た北アルプス
荘厳でした。



このナガブロでも何人かの方が紹介していました。
1月27日の朝焼けです。
ほんとうに焼けるよう。



黒姫山、重厚感がありました。




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