2025/02/24

朝、日が昇る前、あるいは夕方の日没後、まだ空が明るい「薄明」、
この薄明には用途によって3種類あることを、
国立天文台のホームページに教えてもらった。
太陽の中心が水平線の下、何度までに位置しているかによって区分されている。
常用薄明 水平線下 6度まで
航海薄明 水平線下 12度まで
天文薄明 水平線下 18度まで
先日のこと
空気の澄んだ冬の夜明け
満ちた月が沈み行くのを見た
紫色に染まった空
高妻山の薄明に

2025/02/19
2月に入って、北信は雪に見舞われている。
でもここ何年、総じて雪が少ない。
小さい頃から雪景色を見慣れてきた身には、
雪のない荒涼とした冬枯れの風景はちょっと寂しい。
でもこの季節、信濃町あたりまで足をのばせば雪だらけ、
少しほっとするのは、雪国育ちのためだろうか。
先日、そんな雪景色を見に出かけたら、
雪におおわれた田園の上に、さらに霧があらわれ、
白い幽玄の世界となったのであった。

でもここ何年、総じて雪が少ない。
小さい頃から雪景色を見慣れてきた身には、
雪のない荒涼とした冬枯れの風景はちょっと寂しい。
でもこの季節、信濃町あたりまで足をのばせば雪だらけ、
少しほっとするのは、雪国育ちのためだろうか。
先日、そんな雪景色を見に出かけたら、
雪におおわれた田園の上に、さらに霧があらわれ、
白い幽玄の世界となったのであった。

2025/02/11
余寒お見舞い申し上げます。
年々降る雪の量が減ってきて、
雪かきに労力を費やすことが少なくなったと喜んでいたら、
寒をすぎて、今年も思わぬ大雪に見舞われた。
今年もというのは、昨年も2月5日に30センチを越える積雪があったからだ。
今年は8日の土曜日、長野市街地の北部は激しい降りであった。
聞くところによると、犀川から南はさほどではなかったようなのだが、
善光寺界隈は30センチ近く積もったと思う。
そんな土曜日の夜、善光寺の灯明祭りにいった。
毎年そんなに変わりばえしないのだと思うけれど、
やはり足を向けてしまった。

中央通りも黄金色に輝いて、
雪の夜の幻を楽しんだ。

年々降る雪の量が減ってきて、
雪かきに労力を費やすことが少なくなったと喜んでいたら、
寒をすぎて、今年も思わぬ大雪に見舞われた。
今年もというのは、昨年も2月5日に30センチを越える積雪があったからだ。
今年は8日の土曜日、長野市街地の北部は激しい降りであった。
聞くところによると、犀川から南はさほどではなかったようなのだが、
善光寺界隈は30センチ近く積もったと思う。
そんな土曜日の夜、善光寺の灯明祭りにいった。
毎年そんなに変わりばえしないのだと思うけれど、
やはり足を向けてしまった。

中央通りも黄金色に輝いて、
雪の夜の幻を楽しんだ。

2025/02/01
NHKの大河ドラマ「べらぼう」を見ている。
主人公は江戸時代のメディア王・蔦屋重三郎。
正直、歴史上の人物としてはまったくのノーマークだった。
しかし、蔦重に連なる有名人はたくさんいる。
喜多川歌麿、葛飾北斎、十返舎一九、滝沢馬琴などなど
中でも、謎の浮世絵師・東洲斎写楽ははずせない。

写楽については、梅原猛の「写楽 仮名の悲劇」でいろいろと教えてもらった。
写楽は阿波の能楽師という説が流布しているけれど、
これは最初に写楽を評価した外国人が、
そうだと信じてしまったことによるらしい。
梅原は別の説を立てている。
写楽にあてはまるのは、
1 絵がとっても上手い
2 当時演じられていた歌舞伎に精通している
3 突然現れ忽然として消えた理由がうまく説明できる
そういう人物でなければならないらしい。
さらに梅原は、
写楽の絵と、いろんな画家の絵を、詳細に見比べて分析している。
梅原の説が絶対ではないとは思うが、
関心がある方は同書をお読みいただきたい。
はたして「べらぼう」では、写楽をどのように扱うのだろう。
そして、写楽を演じるのは誰なのか?
いまから興味が尽きない。
主人公は江戸時代のメディア王・蔦屋重三郎。
正直、歴史上の人物としてはまったくのノーマークだった。
しかし、蔦重に連なる有名人はたくさんいる。
喜多川歌麿、葛飾北斎、十返舎一九、滝沢馬琴などなど
中でも、謎の浮世絵師・東洲斎写楽ははずせない。
写楽については、梅原猛の「写楽 仮名の悲劇」でいろいろと教えてもらった。
写楽は阿波の能楽師という説が流布しているけれど、
これは最初に写楽を評価した外国人が、
そうだと信じてしまったことによるらしい。
梅原は別の説を立てている。
写楽にあてはまるのは、
1 絵がとっても上手い
2 当時演じられていた歌舞伎に精通している
3 突然現れ忽然として消えた理由がうまく説明できる
そういう人物でなければならないらしい。
さらに梅原は、
写楽の絵と、いろんな画家の絵を、詳細に見比べて分析している。
梅原の説が絶対ではないとは思うが、
関心がある方は同書をお読みいただきたい。
はたして「べらぼう」では、写楽をどのように扱うのだろう。
そして、写楽を演じるのは誰なのか?
いまから興味が尽きない。