パリオリンピックで印象的な涙を二つ見た。
一つは柔道の阿部詩選手のもの。
もう一つは水泳の池江璃花子選手のものだ。
とりわけ池江選手のは、大病を克服してのチャレンジであっただけに、
身につまされた。
勝敗は兵家の常とはいうものの・・・。
「また次がんばれ。」などと気休めを言ってみたところでせんないことだ。
彼女たちだけでなく、敗者には、
負けたことと、どう折り合いをつけるのか、
そんな心の整理作業が待っている。

こんな問題がある。
「今年の甲子園の出場校は49校、
優勝が決まるまで、最低なん試合必要か?」
答えはいたってシンプル、48試合だ。
負けチームが48校でるからだ。
この問題を各都道府県の予選会まで広げると、
負けチームの数は飛躍的に増える。
いったい何が言いたいかというと、
世の中、圧倒的に負け組が多いと思われるということだ。
レスリングで無敵の強さを誇った吉田沙保里さん、
彼女が君臨したことで、
どれだけ多くの挑戦者が涙をのんだことか。

スポーツ競技だけでなく、実社会でも優劣はつきものだ。
「公平に」「平等に」と言ってみたってどうしようもない。
程度の差はあれ、おそらく「負ける」ということは、
だれもが経験しているはずだ。
負けてしまった自分をどう処していったらいいのか、
だれしも悩むのではないか。
悔し涙を人生の糧にかえる、
そんなことの手ほどきができる先達がいれば、話を聞いてみたい。




今年の夏も暑い!
「も」とするのは、昨年もかなり暑かったからだ。
長野市の気温の状況を、気象庁のデータで調べてみた。
昨夏、最高気温30℃以上の真夏日は80日、
うち35℃以上の猛暑日は23日、
最低気温が25℃以上の熱帯夜は10日あった。
今年は、8月20日時点で真夏日は50日、
うち猛暑日は6日、熱帯夜は2日であった。

30年前はどうであったのだろうかと1994年のデータを調べたら、
意外や意外、同年も暑かった。

 1994年  真夏日  うち猛暑日   熱帯夜
  5月   0日     0日    0日
  6月   1日     0日    0日
  7月  27日     8日    3日
  8月  28日    12日    2日
  9月   9日     0日    0日

 2023年  真夏日  うち猛暑日   熱帯夜
  5月   3日     0日    0日
  6月   4日     0日    0日
  7月  23日     5日    0日
  8月  31日    17日   10日
  9月  19日     1日    0日

しかも、1994年の8月14日~16日までの最高気温はそれぞれ
38.2℃、37.1℃、38.7℃であった。
どうやら8月16日の38.7℃は長野市の記録であるらしい。

今では到底考えられないのだが、
このとき、我が家にはまだエアコンというものがなかった。
よく耐えていたと思う。

この年、8月19日から4泊5日の山旅に出かけていた。
暑い夏を、5日間も涼しい山の上で過ごせたのは極楽であったかもしれない。
ただ、このうち3日は天候が悪かった。
雨中行軍であったことを記憶している。
テントの中で雨音を聞くことほど心細いことはなかったのであった。




浅田次郎さんの小説「一路」は、美濃の旗本が参勤交代で江戸へ上る話。
新米の御供頭が、数々の難題を克服していく。
時期は12月、中山道を使うことが決められている。
難所の一つが「和田峠」、吹雪の峠超えとなるが・・・。



6月に、和田峠へ行く機会を得た。
かつて旅人でにぎわったであろう峠は、
小鳥のさえずりと春ゼミの鳴き声ばかりであった。
峠を少し登ったところから浅間山が見えた。
徒歩があたりまえであった往時では、はるか遠方に思えただろう。



京都側の下諏訪宿まで二里半、江戸側の和田宿まで二里半、
あわせて五里、約20キロの距離となる。
標高差もあり、確かに難所だったと思える。
むかしの旅人は徒歩が普通。
大変なご苦労であったのだろう。



志賀高原には湖沼が数々あれど、
赤石山、志賀山に囲われた大沼池は、
言いようのない青い色をたたえていて、
特異な存在だ。
最寄りの駐車場から歩いて1時間ほどかかり、
四十八池とともに志賀高原の核心部を成している。



写真ではうまく表現できていないのだが、
青絵の具に、緑と白を少しずつ溶かし込んだ、
そんなような色をしている。
午前と午後で色が違う。
太陽の位置によって色合いが変わるようだ。
池の向こうとこっちでも違っているみたい。

池の管理を任せられているとおぼしき方に、
青い色の秘密を聞いてみた。
一つは透明度が高いということ。
オレンジジュースくらいのpH4で酸性が強く、
生き物が住めないために透明度が高いのだそうだ。
そして、その酸性を作っているのが、
赤石山から流れてくる鉱物の成分。
高い透明度と鉱物の成分により、
波長の長い赤系統の色は拡散し、
波長の短い青系統の色が我々の目に届くのだそうだ。
空が晴れ渡れば、その青さはいっそう引き立つとのことだ。



はるか昔の中学時代(昭和50年代)、
学校の行事でこの大沼池をめぐったことがある。
当然と言えば当然なのだが、
中学生のガキには池の色なんてどうでもよかったのだろう、
どんな色をしていたかなんてとんと覚えていない。
今はその神秘な色に感動している。
歳をとるとはそういうことかもしれない。

< 2024年08>
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリ
QRコード
QRCODE
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
上穂悠生