どうしてご焼香に行ったのかと聞かれれば、
新聞で訃報通知を見つけてしまったから、
としかいいようがない。
小学校1年から3年までの担任の先生である。
4年生に上がるときクラス替えがあり、担任が替わった。
それ以後の先生の消息については承知していない。
遺影との対面が、ほぼ50年ぶりであった。

自分は「ごたっ小僧」であった。
当然、先生からもさんざ怒られた。
どのような怒られ方をしたかを書くと、
今では物議を醸すことになるので詳細は述べられない。
自分は、学校であったことを親に話すような子ではなかった。
が、親は、我が子の授業態度について、うすうすわかっていたと思う。
なにせ、親からの怒られ方はそれ以上であったのだから。

子ども心にも、先生が不機嫌なときはなんとなく感じられた。
特に、先生が明るい色の背広を着てきたときは、ちょっと用心した、
そんな覚えがある。
50年という歳月を経て、もう印象はだいぶ薄くなってしまっている。
斎場に飾ってあった還暦と思われる写真からは、
かろうじて面影をしのぶことができたが、
それ以後に撮られた老後の笑顔からは、
怒鳴る顔を思い描くことはできなかった。
その節はお世話になりました、
というよりは大変お世話をかけました、
そう手を合わせるしかなかった。



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